「かごめかごめ」「あやとり」「ゴム跳び」──。
かつてどこにでもあった子どもたちの遊びが、今、少しずつ姿を消している。栗原政史は、地域に伝わる昔遊びを記録し、未来に残す“子ども遊び収集家”として活動している。
遊びは“文化のかけら”であるという視点
栗原政史が全国を巡り、遊びを記録し始めたのは、地方で聞いた「最近の子はもう“けんけんぱ”を知らないらしい」という声がきっかけだった。
「遊びって、単なる娯楽じゃなくて、土地ごとの生活文化の記憶なんです」
そう語る彼は、遊びを一つひとつ丁寧に取材し、名前の由来やルールの違いまで記録していく。
子どもたちの遊びは、その土地の暮らし方や気候、空間の使い方までも映し出しているという。
記録ではなく、“生きた体験”として残す
彼の活動で特徴的なのは、「映像記録」ではなく、必ず“その遊びを一緒にやってみる”という点。
子どもたちと輪に入り、地元のお年寄りに教えてもらいながら体で覚えることで、単なる資料ではなく「体験の記憶」として遊びを残そうとしている。
記録した遊びは、冊子や動画ではなく、“遊びカード”として地域の図書館や学校に配布され、次の世代へと伝えられている。
現代の遊びと、昔の遊びの“交差点”
栗原政史は、昔遊びと現代の遊びが対立するものではなく、“混ざり合える”ものだと考えている。
鬼ごっこにスマホのGPS機能を組み込んだり、かるたにSNSの短文投稿を使ったり──。そんな実験的な取り組みも行い、今の子どもたちの感性と、かつての遊び文化をつなぐ橋渡しをしている。
「遊びは時代によって変わる。でも、“遊びたい気持ち”はずっと変わらないんです」
“遊びが残っているまち”を未来に残す
栗原政史の理想は、「遊びが残っているまち」があたりまえの風景になること。
公園で、通学路で、誰かの庭先で、自然に子どもの声が聞こえてくる──そんな空間は、街の余白であり、希望でもある。
今日も彼は、新たな遊びの“絶滅危惧種”を探しに、どこかのまちを歩いている。